清澄庭園案内/清澄ガイド倶楽部

概要


                                 アクセス数累計  21/mar/2016  13,349




                 清澄庭園案内
 



    ◇ 概 要

         三菱の創始者 岩崎彌太郎  は明治13年この地に三菱社社員の交流と 賓客への接待の場として
        「深川親睦園」 を創設した   彌太郎は無類の庭好きで 江戸時代の名園 六義園の改修とこの親睦園
        造成に力を注いだ 明治18年彌太郎急逝後 弟岩崎彌之助 は江戸時代の大名庭園に勝る三万坪に及ぶ
        江戸庭園名残の庭 「清澄庭園」 を明治24年に完成させた
 
        
往時は西にJ・コンドルの西洋館  東に柏木貨一郎 の日本館を持ち 至珠の名園であった
        「深川親睦園」1880年創立以来 本清澄庭園は今年で 135年目にあたる。
                         
e0156629_06421479.jpg
               
                 大正12年 関東大震災で壊滅的な損害を受けたが 岩崎久彌の寄贈により
                 昭和7年 「東京市 清澄庭園」 として再生した   面積は約1万坪である

                現在も庭園としての評価は高く 様々な庭石が散見される他 庭を歩むごとに展開する
                   " 回遊式 " の魅力あふれる庭として著名である





e0156629_1945246.jpg        
岩崎彌太郎

 
  天保5年12月11日(1835年1月9日)土佐・安芸郡の地下浪人の家に生まれ極貧の中で
  暮らした
  安政元年21歳のとき藩士の従者となって江戸へ出 安積艮斎の門人になった
  帰国後土佐藩の執政・吉田東洋に弟子入り 後藤象二郎の命令で長崎での土佐藩財政建
  て直しに奔走した
  維新後の明治3年10月 大阪にに海運業 九十九商会を作った廃藩置県後 明治6年に
  三菱商会と改名し新政府の軍需輸送を受け持ち全国汽船総トン数の73%を手中に収めた

              明治10年に勃発した西南戦争時には三菱の所有する汽船はほとんど軍用船として需要を
             独り占めにし莫大な利益を上げた  しかし明治14年三菱の最大の保護者であった
             大隈重信が失脚した
             彌太郎は三井家の背後にいる井上馨・渋沢栄一と敵対し 共同運輸会社と死闘を繰
             り広げたが  そのさなか病没した 胃癌である
             明治18(1885年)年2月7日没 場所は東京・湯島 岩崎本邸 享年50歳 志し半ばの無念
             の死である




 

[PR]
by gkiyosumi | 2009-02-08 21:57