清澄庭園案内/清澄ガイド倶楽部

03 歴史

◇ 清澄の歴史

e0156629_2127252.jpg   ◇江戸時代

       深川清澄一帯に 紀伊国屋文左衛門 伝聞がある 文左衛門は紀州湯浅
       の生まれ 20代に紀州みかんや塩鮭で富を築き 元禄年間に江戸で柳澤
       吉保などに賄賂を贈り接近 上野寛永寺根本中堂造営で巨利を博したが
       後 十文銭の鋳造事業に失敗 綱吉の死により失脚した 晩年は浅草寺
       内で過ごした後 深川八幡に移り宝井其角らと交友が有った
       俳号「千山」と号する享保19年(1734)に死去享年66歳と言われている
       文左衛門の別荘が清澄にあったとする説があり深川一帯の文左衛門伝説
       であるが別荘存在の真偽は判らない
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e0156629_0265075.jpg下総関宿城址と
   現在の城遠望


江戸時代後期には清澄庭園のあるこの一帯は
伊勢崎町と呼ばれ 久世大和守 の領地である
久世家は徳川家に随身する参河譜代の由緒あ
る家柄で寛永13年1636 久世広之が大和守
に叙され下総国関宿/千葉県野田市を賜り居城
としていた久世家の上屋敷は常磐橋御門内に
 中屋敷は箱崎町にあり下屋敷はこの深川伊勢崎町にあった 幕末には当主久世広周は老中として徳川幕府の中枢にいたしかし維新の頃は久世家は所領を離
         れこの下屋敷も将軍に返上した
         明治4年の東京大絵図には新三位中将即ち 徳川慶喜の所有となり 明治9年の絵図では前島密
         四条隆謌などの名も見える 維新動乱の余波をうけこの土地は転々と人手に渡っていたことになる


e0156629_17575586.jpg◇岩崎時代

 岩崎彌太郎
明治11年 岩崎彌太郎は 伊勢崎町一帯を購入した 彌太郎言として次の言葉が残されている「吾は性来これといふ嗜好なかれど 常に心を泉石丘壑に寄すこれを以って憂悶を感ずる時は 名庭園を見る 向島の佐竹の庭の如きは名苑なれども 唯人為の工のみにして天然の妙趣なし ひとり加賀邸の庭園(現東大 三四郎池周辺)は無数の巨厳大石を配置し老樹點綴して豪宕の趣深山の風致あり若し吾に庭園を造る時あればかくの如きものに傚はんと欲す」
明治13年 彌太郎は「深川親睦園」として 庭園整備に乗り出すしかし志半ばにして
           明治18年湯島岩崎邸にて逝去 享年50歳死因は胃癌だった 巻末に年表


  e0156629_233553100.jpg                                      岩崎彌之助
     岩崎彌太郎の遺言を基に弟 彌之助が庭園整備を続行した彌太郎理想の大名庭園を
       目標に茶人磯谷宗庸を招き池泉回遊式 潮入庭園として明治24年に「清澄庭園」 
       を完成した 庭園面積約3万坪である
       庭園付属の施設として西側に英人 ジョサイア・コンドル設計の洋館(762坪)を
       作った  東側に当時きっての名工匠 柏木貨一郎による和館(315坪)を作り
       岩崎彌之助深川別邸とし 三菱社の迎賓館として使用されていた両建物とも明治・
       大正時代を通して屈指の名建築で何れも国宝級と言われる 大正12年の 関東
       大震災でこの何れも灰燼と化してしまった 巻末に年表を付す


e0156629_2581319.jpg            
岩崎久彌
  岩崎彌太郎の嫡男 久彌は彌之助を引き継ぎ庭園を運営する 明治42年日本陸軍の大演習
  視察及び伊藤博文国葬の為に来日した 英国インド軍総司令官キッチナー元帥を接遇する目
  的で庭園内に 涼亭 を作った 設計は保岡勝也で大震災にも残り優雅な姿を今も止めている
  大震災で壊滅的な被害を被った東京市は  多大の人命救助に有効であったこの清澄庭園の
  贈与を申し出でると 久彌は快諾し大正13年に東京市に寄贈された   東京市はこの寄贈
  に答え整備後 昭和7年 東京市清澄庭園として開園した





  ◇ 関東大震災前の清澄庭園

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     川瀬巴水作 岩崎深川別邸 大正9年作画
            左奥はジョサイア・コンドルの西洋館 右は柏木貨一郎の日本館 左手前に涼亭 右の小島は鶴島
  


e0156629_13341894.jpg  ◇ 岩崎家の建物
      関東大震災にて焼失 現在はない 



                   岩崎彌之助深川別邸
        

                         西洋館
                                    設計ジョサイア・コンドル 明治22年完成

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ジョサイア・コンドル

  英國人1852年ロンドン生まれ明治10年(1877)工部大学校(東大)教授 黎明期の日本の洋風建築を主導した
主要作品上野博物館 鹿鳴館 岩崎久彌邸 三井倶楽部 古河虎之助邸等 1920年没日本の近代建築の父と讃えられている


 
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                        岩崎彌之助深川別邸 日本館 設計柏木貨一郎 明治24年完成

e0156629_23251116.jpg  柏木貨一郎 天保12年(1841)江戸下谷生まれ 徳川幕府小普請方
        明治初期の古美術鑑定家及び工匠
   工匠とは数寄屋の美意識を基本として設計を含む作事全般のプランナー
   主要作品 深川伊勢崎町・岩崎男爵邸 飛鳥山・渋沢子爵邸と無心庵三井有楽町集会場等 現存
   の作品はない 名は政矩 号は探古斎
   著作に「集古印史」   明治31年汽車にはねられて死亡 享年58歳
                        大川三雄氏論文/建築学会1994年より引用

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日本館内庭
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右旧日本館灯籠
    手水鉢
 現 大正館前庭
 東側に現存


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e0156629_1435238.jpg 旧日本館遠望 左が松ノ茶屋 正面の大屋根が本館である
  中央に灯籠が見える




                   右の写真は現在 涼亭前にある 大灯籠である
                   これは上写真の灯籠で旧日本館前庭中央より
                   移設したと思われる 推定作成年代 明治初頭
                   春日灯籠12尺本御影 園内では最大である  


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                西側庭園  現在はない西側庭園の風景 遠くに富士山が見える.コンドル著作より



 

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by gkiyosumi | 2008-11-03 21:57