清澄庭園案内/清澄ガイド倶楽部

概要


                                 アクセス数累計  21/mar/2016  13,349




                 清澄庭園案内
 



    ◇ 概 要

         三菱の創始者 岩崎彌太郎  は明治13年この地に三菱社社員の交流と 賓客への接待の場として
        「深川親睦園」 を創設した   彌太郎は無類の庭好きで 江戸時代の名園 六義園の改修とこの親睦園
        造成に力を注いだ 明治18年彌太郎急逝後 弟岩崎彌之助 は江戸時代の大名庭園に勝る三万坪に及ぶ
        江戸庭園名残の庭 「清澄庭園」 を明治24年に完成させた
 
        
往時は西にJ・コンドルの西洋館  東に柏木貨一郎 の日本館を持ち 至珠の名園であった
        「深川親睦園」1880年創立以来 本清澄庭園は今年で 135年目にあたる。
                         
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                 大正12年 関東大震災で壊滅的な損害を受けたが 岩崎久彌の寄贈により
                 昭和7年 「東京市 清澄庭園」 として再生した   面積は約1万坪である

                現在も庭園としての評価は高く 様々な庭石が散見される他 庭を歩むごとに展開する
                   " 回遊式 " の魅力あふれる庭として著名である





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岩崎彌太郎

 
  天保5年12月11日(1835年1月9日)土佐・安芸郡の地下浪人の家に生まれ極貧の中で
  暮らした
  安政元年21歳のとき藩士の従者となって江戸へ出 安積艮斎の門人になった
  帰国後土佐藩の執政・吉田東洋に弟子入り 後藤象二郎の命令で長崎での土佐藩財政建
  て直しに奔走した
  維新後の明治3年10月 大阪にに海運業 九十九商会を作った廃藩置県後 明治6年に
  三菱商会と改名し新政府の軍需輸送を受け持ち全国汽船総トン数の73%を手中に収めた

              明治10年に勃発した西南戦争時には三菱の所有する汽船はほとんど軍用船として需要を
             独り占めにし莫大な利益を上げた  しかし明治14年三菱の最大の保護者であった
             大隈重信が失脚した
             彌太郎は三井家の背後にいる井上馨・渋沢栄一と敵対し 共同運輸会社と死闘を繰
             り広げたが  そのさなか病没した 胃癌である
             明治18(1885年)年2月7日没 場所は東京・湯島 岩崎本邸 享年50歳 志し半ばの無念
             の死である




 

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# by gkiyosumi | 2009-02-08 21:57

imformation




        ◇ 青 鷺

                               撮影 谷川信子      
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  ◇ 清澄の櫻 
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                                   撮影 石村正臣 染井吉野 2007 3 26



                                          


◇ 涼亭俯瞰   
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  中村学園から見た涼亭    左 2013  7月 

                 下 2013 12月

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   ◇ 岩崎彌之助深川別邸 建築模型

          原 徳三氏による建築模型が完成し 2012年 静嘉堂文庫で公開された
          明治22年完成 原設計ジョサイア・コンドルの1/50モデルで往時の華麗な景観を忠実に伝えている
          最近 国立科学博物館 に移されたが 公開の予定は決まっていない
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# by gkiyosumi | 2008-11-11 12:57

01 目次

  清澄庭園 庭園案内

            00 Imformation
          01 目 次
          02 庭園ガイド    ・guide tour
          03 歴 史      ・江戸時代 ・岩崎時代
          04 アプローチ   ・手水鉢 ・佐渡赤玉石 ・大正記念館
          05 庭園中央     ・遠望 ・仙台石 ・清澄の野鳥
          06 大澤渡り    ・大澤渡り ・縮景長瀞 ・山灯籠・清澄の植物 
          07 庭園西     ・傘亭 ・岩崎久彌顕彰碑
          08 涼 亭       ・涼亭 
          09 庭園南     ・自由広場 ・芭蕉句碑 ・枯瀧 ・富士山 ・野佛 ・清澄の石
          10 中ノ島      ・中ノ島 ・櫨の木
          11 庭園東     ・椋の木 ・多層塔 ・茶庭 
          12 年 表


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    清澄庭園  清澄庭園管理所
         所在地 東京都江東区 清澄 3-3-9 tel 03-3641-5892



               この庭園案内に関する御意見、ご助言は本ブログcomments
                    又はkyuiwasaki@gmail.com にお寄せ下さい


                     ****************************

                 監修: 田和恭介 作成: 戸村英正   / 清澄庭園ガイド倶楽部

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# by gkiyosumi | 2008-11-09 14:59

02 庭園ガイド



 
 Guided Tour


          清澄庭園ガイド倶楽部
                  清澄庭園では庭園を巡るボランティアによるガイドツアーが行われています
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               定時ガイド    毎週 土曜 日曜 及び 祭日



                  定時ガイド時刻は 午前11時 午後2時 の2回 案内時間は一時間程度です
                  八月のガイドは午前11時のみです
                        

                  個人見学   ご希望の方は時間までに 庭園入口の
                         ガイドツアー看板付近にご集合下さい 予約は不要です

  
                  団体見学   御希望の日にガイドが可能です 一か月 前までに
                         期日時間等を清澄庭園管理所(03-3641-5892) に申し込んで下さい


                       ガイド費用は個人団体共無料です





            関連blog - 旧岩崎邸案内 WEB 検索 google " コンドル会 " 
                茅町岩崎邸は岩崎彌太郎の長男 久彌 の本邸です
                    http://conder.exblog.jp/ 
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# by gkiyosumi | 2008-11-03 23:30

03 歴史

◇ 清澄の歴史

e0156629_2127252.jpg   ◇江戸時代

       深川清澄一帯に 紀伊国屋文左衛門 伝聞がある 文左衛門は紀州湯浅
       の生まれ 20代に紀州みかんや塩鮭で富を築き 元禄年間に江戸で柳澤
       吉保などに賄賂を贈り接近 上野寛永寺根本中堂造営で巨利を博したが
       後 十文銭の鋳造事業に失敗 綱吉の死により失脚した 晩年は浅草寺
       内で過ごした後 深川八幡に移り宝井其角らと交友が有った
       俳号「千山」と号する享保19年(1734)に死去享年66歳と言われている
       文左衛門の別荘が清澄にあったとする説があり深川一帯の文左衛門伝説
       であるが別荘存在の真偽は判らない
e0156629_21502423.jpg     
e0156629_0265075.jpg下総関宿城址と
   現在の城遠望


江戸時代後期には清澄庭園のあるこの一帯は
伊勢崎町と呼ばれ 久世大和守 の領地である
久世家は徳川家に随身する参河譜代の由緒あ
る家柄で寛永13年1636 久世広之が大和守
に叙され下総国関宿/千葉県野田市を賜り居城
としていた久世家の上屋敷は常磐橋御門内に
 中屋敷は箱崎町にあり下屋敷はこの深川伊勢崎町にあった 幕末には当主久世広周は老中として徳川幕府の中枢にいたしかし維新の頃は久世家は所領を離
         れこの下屋敷も将軍に返上した
         明治4年の東京大絵図には新三位中将即ち 徳川慶喜の所有となり 明治9年の絵図では前島密
         四条隆謌などの名も見える 維新動乱の余波をうけこの土地は転々と人手に渡っていたことになる


e0156629_17575586.jpg◇岩崎時代

 岩崎彌太郎
明治11年 岩崎彌太郎は 伊勢崎町一帯を購入した 彌太郎言として次の言葉が残されている「吾は性来これといふ嗜好なかれど 常に心を泉石丘壑に寄すこれを以って憂悶を感ずる時は 名庭園を見る 向島の佐竹の庭の如きは名苑なれども 唯人為の工のみにして天然の妙趣なし ひとり加賀邸の庭園(現東大 三四郎池周辺)は無数の巨厳大石を配置し老樹點綴して豪宕の趣深山の風致あり若し吾に庭園を造る時あればかくの如きものに傚はんと欲す」
明治13年 彌太郎は「深川親睦園」として 庭園整備に乗り出すしかし志半ばにして
           明治18年湯島岩崎邸にて逝去 享年50歳死因は胃癌だった 巻末に年表


  e0156629_233553100.jpg                                      岩崎彌之助
     岩崎彌太郎の遺言を基に弟 彌之助が庭園整備を続行した彌太郎理想の大名庭園を
       目標に茶人磯谷宗庸を招き池泉回遊式 潮入庭園として明治24年に「清澄庭園」 
       を完成した 庭園面積約3万坪である
       庭園付属の施設として西側に英人 ジョサイア・コンドル設計の洋館(762坪)を
       作った  東側に当時きっての名工匠 柏木貨一郎による和館(315坪)を作り
       岩崎彌之助深川別邸とし 三菱社の迎賓館として使用されていた両建物とも明治・
       大正時代を通して屈指の名建築で何れも国宝級と言われる 大正12年の 関東
       大震災でこの何れも灰燼と化してしまった 巻末に年表を付す


e0156629_2581319.jpg            
岩崎久彌
  岩崎彌太郎の嫡男 久彌は彌之助を引き継ぎ庭園を運営する 明治42年日本陸軍の大演習
  視察及び伊藤博文国葬の為に来日した 英国インド軍総司令官キッチナー元帥を接遇する目
  的で庭園内に 涼亭 を作った 設計は保岡勝也で大震災にも残り優雅な姿を今も止めている
  大震災で壊滅的な被害を被った東京市は  多大の人命救助に有効であったこの清澄庭園の
  贈与を申し出でると 久彌は快諾し大正13年に東京市に寄贈された   東京市はこの寄贈
  に答え整備後 昭和7年 東京市清澄庭園として開園した





  ◇ 関東大震災前の清澄庭園

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     川瀬巴水作 岩崎深川別邸 大正9年作画
            左奥はジョサイア・コンドルの西洋館 右は柏木貨一郎の日本館 左手前に涼亭 右の小島は鶴島
  


e0156629_13341894.jpg  ◇ 岩崎家の建物
      関東大震災にて焼失 現在はない 



                   岩崎彌之助深川別邸
        

                         西洋館
                                    設計ジョサイア・コンドル 明治22年完成

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ジョサイア・コンドル

  英國人1852年ロンドン生まれ明治10年(1877)工部大学校(東大)教授 黎明期の日本の洋風建築を主導した
主要作品上野博物館 鹿鳴館 岩崎久彌邸 三井倶楽部 古河虎之助邸等 1920年没日本の近代建築の父と讃えられている


 
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                        岩崎彌之助深川別邸 日本館 設計柏木貨一郎 明治24年完成

e0156629_23251116.jpg  柏木貨一郎 天保12年(1841)江戸下谷生まれ 徳川幕府小普請方
        明治初期の古美術鑑定家及び工匠
   工匠とは数寄屋の美意識を基本として設計を含む作事全般のプランナー
   主要作品 深川伊勢崎町・岩崎男爵邸 飛鳥山・渋沢子爵邸と無心庵三井有楽町集会場等 現存
   の作品はない 名は政矩 号は探古斎
   著作に「集古印史」   明治31年汽車にはねられて死亡 享年58歳
                        大川三雄氏論文/建築学会1994年より引用

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日本館内庭
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右旧日本館灯籠
    手水鉢
 現 大正館前庭
 東側に現存


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e0156629_1435238.jpg 旧日本館遠望 左が松ノ茶屋 正面の大屋根が本館である
  中央に灯籠が見える




                   右の写真は現在 涼亭前にある 大灯籠である
                   これは上写真の灯籠で旧日本館前庭中央より
                   移設したと思われる 推定作成年代 明治初頭
                   春日灯籠12尺本御影 園内では最大である  


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                西側庭園  現在はない西側庭園の風景 遠くに富士山が見える.コンドル著作より



 

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# by gkiyosumi | 2008-11-03 21:57

04 アプローチ

      ◇◇◇◇  清澄庭園案内  ◇◇◇◇


      ◇アプローチ

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                          手水鉢  入口付近にある巨大な棗の手水鉢 裏側は関東
                               大震災の火事で 破損している
                               同じ手水鉢が湯島岩崎邸に現存する 赤御影

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e0156629_22403232.jpg太湖石擬き奇岩
 中国庭園で珍重される太湖石は江戸時代
 には異国情緒もあり人気があったこの石
 は太湖石擬き奇岩中国産ではなく伊豆産



                        入口よりの園路

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                      佐渡赤玉石    新潟県佐渡市岩首産出のチャートで 他のチャート
                        と比べて深い赤色が特徴 赤色は鉄分で酸素の豊富な時代に堆積し
                        たためで鮮やかな赤色である

 ◇大正記念館

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e0156629_2357063.jpg           旧大正記念館
                昭和7年-20年

     関東大震災による庭園建物 焼失後 昭和7年庭園
     再開に合わせて大正記念館として建設された
     これは大正天皇の葬儀に用いられた葬祭殿の下賜
     によるものである
     写真は大正天皇の大正記念館でこの雄大壮麗な
     建物も昭和20年3月の大空襲により再び焼失する
      
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現在の大正記念館 昭和28年 - 現在

 終戦後 大正天皇の妃貞明皇后の葬祭殿
 の材料の下賜をうけ再び大正記念館として
 再建された
 木造 スレート葺き 建築面積170坪
         完成は昭和28年である
   

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# by gkiyosumi | 2008-11-03 21:56

05 庭園中央

◇遠望

    2012 11月
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    2013 1月
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e0156629_2311062.jpg 東の眺め
   左に富士山 右に瀧石
       
   富士山頂の樹木は実生で昭和期前半ま
   では樹木はなく園内の各所から荒々しい
   富士の山頂が見えた
   涼亭建設以前は瀧石が景色の中心であ
   った



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                         中央の眺め 中央にあるのが涼亭

e0156629_039832.jpge0156629_063331.jpg         
       
                     
               西の眺め  前方に雪見灯籠 奥に四阿傘亭がある
                   雪見灯籠のある島は"松島"と言い古くは橋で結ばれていた

e0156629_1482052.jpg               

仙台石
    写真右にスロープがありその上に 旧日本館の
    大広間があった 震災前には多数の客人はスロ
    ープを下り この場所に出てここから船遊びの船
    に乗った この仙台石は船着場として用いられて
    いた 堆積岩 宮城縣石巻市産泥板岩 砂で出来
    た灰色の筋模様があり厚さ20-30cm が主現在
    は採掘は不可



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       ◇清澄の野鳥



  清澄庭園は臨海部に近いこと 淡水の池であること
  餌が豊富なこと 完全な禁漁区であることなどから
  都内有数の野鳥観察地である

         鷺(アオサギ)
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               鴨(キンクロハジロ)
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       e0156629_10172850.jpge0156629_21573987.jpg
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      鶺鴒 (セキレイ)
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                      鴎(ユリカモメ)


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(カイツブリ) 

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   池では巨大な
    鯉が遊泳する









e0156629_02448.jpgミシシッピイアカミミガメ
 目尻の部分に紡錘形の赤やオレンジ色の
 班紋がある 兇暴につき注意

 
 多く見られる鳥類    キンクロハジロオナガカモ マガモなどの鴨類 ユリ
   カモメ セグロカモメなどの鴎類  アオサギ コサギ ゴイサギなどの鷺類
   などである運が良ければ ルリビタキ ウグイス カワセミ ヒヨドリ
   なども目撃されている
                                              
                                資料「清澄庭園の水鳥」清澄ガイドの会 参照

                                             

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# by gkiyosumi | 2008-11-03 21:55

06 大沢渡り


 ◇大澤渡り
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 岩崎彌太郎自身で考え自ら石積みした
 との伝説のある大澤渡りである
 基礎部分には日本で最古に近いセメント
 が使用されている
 深川親睦園当時から考えれば約130年
 経過している

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     川瀬巴水が描いた 雪の清澄庭園
    右の建物は日本館の松の茶屋



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縮景 長瀞

  石組みの中心は 幾つかの細長い立石である 左右岸とも力強い表現で 流れは西側に回って 静かな池となる 創設時にはこの池は西に延びて 西洋館前の大泉水に連なっていた






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  山灯籠 山灯籠は石を加工せず自然石
  を用いて作るこの山灯籠は雄大で伸び
  やかな名品であるが来歴は伝えられて
  いない


e0156629_0475589.jpg雪見灯籠

 コンドルの著作”日本庭園”-1912年に見ら
れる現存の雪見灯籠
 この灯籠は輪郭の鮮明な江戸時代後期のの秀作である
 背後の形の整った唐崎の松は関東大震災後復元されて
 いない









              
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    多重塔
       売店脇の忘れられたような場所に多重塔がある 作成年代は新しいが恐らく大陸よりの渡来の名品ある
 





  




    ◇清澄の植物

    明治時代 植裁に岩崎家の財力を背景に多くの銘木(その多くは松)が植えられていた 外周をスダジイ ケヤキな
    どで囲まれ 要所には仕立物の松が美しい姿を見せていたこれらの見事な植裁は大震災で失われ往時の豪華な
    姿を取り戻すには至っていない

e0156629_845874.jpg    赤松  圧倒的に多い黒松に比し
      赤松は数本であるが これは中
      之島にある清澄庭園を代表する
      赤松の銘木



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  庭園の南 自由広場には 寒緋櫻
    染井吉野 寒山などがあり長い間
    櫻花を楽しめる
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 クスノキ
  クスノキ科の常緑高木 大きく生長し巨樹も多い 常緑樹ではあるが葉の寿命は1年間で春に新葉がでる頃に前年の葉は落ちる 新緑の美しい常緑樹である5月の終わり頃から房状の小さな花を咲かせる




e0156629_1862440.jpge0156629_13213087.jpg                           花菖蒲

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e0156629_150177.jpg著 莪 シャガ














  

        櫨の木 現在最も美しい眺めの一つは 秋に
            真紅に色づく櫨(ハゼ) の木である

 
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椋の木 ムクノキ


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                               椨の木  タブノキ


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キハダ/黄檗
 5月末~7月初旬にかけて円錐花序の小さい黄色い花が見ら
 れる 樹皮はコルク質で、外樹皮は灰色、内樹皮は鮮黄色
 でこの樹皮から コルク質を取り除いて乾燥させたものは
 生薬の黄檗として知られる  

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                        エノキ
 花には雄花と雌花がある4月頃に葉の根元に小さな花を咲かせる 花の後に果実をつけ熟すと橙褐色になり食べられる 味は甘い

                                                                                                       

現在の樹木は針葉樹7種 (クロマツ カイズカイブキ キャラボク他) 常緑広葉樹56種 (クスノキ マテバシイ スダジイ サンゴジュ他)  落葉広葉樹34種(ケヤキムクノキ エノキ他)で数量的には常緑樹が過半を占めている



             資料「清澄庭園の植物」清澄ガイドの会参照

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# by gkiyosumi | 2008-11-03 21:54

06 庭園西

  ◇ 傘 亭
      創建時は池に囲まれ 360度園内が見通せる 絶景の中心だった  傘亭は元々は木造であったが 昭和7年
      現在のコンクリート製擬木に作り替えられた 清澄一帯は紀伊国屋文左衛門の伝説のある場所とされている
      これに因んでこの場所を傘亭以外に文左衛門の雅号千山を用いて 千山亭とも称している
      3.11の東日本大震災により傘亭のコンクリート擬木東屋は破損し撤去され、写真の傘亭は現在ははない
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e0156629_64279.jpg                               

                               
                                  檀 マユミ

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    ◇岩崎久彌顕彰碑

     岩崎久彌は東京市の要請に基づいて大正13年に
     この清澄庭園を東京市に寄贈する この篤志を顕
     彰するために昭和4年に建てられたもの 江戸城
     の石垣が用いられている
                      本小松石





 

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# by gkiyosumi | 2008-11-03 21:54

08 涼亭

◇涼亭
        涼亭は明治42年(1909) に作られた 現在 創建100年を越えている

                     
   涼亭 冬                                                                                撮影 佐藤あけみ 
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    e0156629_23452890.jpg涼亭 夏
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                    涼亭脇から見える
                      "skytre" jan/2011


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              震災前の涼亭の写真 左側に現洗面所の部分がない 屋根は西京瓦
               写真には縁側に机を並べた外人客が見える

                                  
       「家屋類纂」  保岡 勝也著 明治45年4月5日 信友堂書店 発行に次の記述がある
              第参  深川区所在某邸内 池邊茶邸 (清澄 涼亭のこと)
              木造平屋建 建坪五十八坪 右ハ某別邸ノ邸園内池邊ニ新築シタ外賓休憩用
              茶邸ニシテ特ニ履物ヲ脱セズシテ 入リ得ル様 床ニ絨氈ヲ敷込ミタレドモ總テノ
              手法 純然タル日本風ナリ只内法寸法六尺五寸トセシハ 外賓ヲシテ鴨居ノ低
              キヲ憂慮セシメザラシガ為ニ外ナラズ 内部障子ハ總テ紙張リ避ケ艶消硝子ヲ
              嵌込ミ 天井ハ和様 棹縁杢板張リトシ屋根ハ西京瓦ヲ用ヒタリ 配膳室臺所
              兼用ハ 全部敷瓦敷ニシテ裕ニ四拾人ノ調理ヲナシ得ル設備トス


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 涼亭につき 「岩崎久彌伝」 昭和36年 岩崎久彌傳編纂委員会 に次の記述がある

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  久彌は池の南岸に瀟洒な小亭を建てて新景観を加えた
  この亭は 明治42年英国陸軍元帥キッチナー
  が来朝の際 元帥を接遇するために新設したもので
  設計者は保岡勝也である


     キッチナー元帥 は英国のアフリカ戦略に勇名を馳せ 第一次世界大戦
       当時の陸軍大臣の要職に就いた人であるが 来朝当時はインド軍
       総司令官の任期を終わり帰国の途上にあった


  久彌は11月14日元帥のために清澄園に園遊会を催しまず洋館陳列場に元帥を
  講じて中国陶磁器の名品を鑑賞に供し 陶磁器愛好者として知られる元帥を喜
  ばせた次いで庭園に案内し池畔に設けた前記の小亭に入って茶菓を供した
  爾来この小亭は キッチナー元帥記念涼亭 と呼ばれ現在も保存されている

e0156629_11451095.jpg      
 保岡勝也  明治33年東京大学卒 三菱入社 三菱レンガ街の事務所設計に従事 曽禰達蔵の
   退社後 技師長まで昇進するが明治44年退社 大正期に増え始めたサラリーマン向け典型
   的郊外住宅の形成と定着に務めた 一方昭和以降多数の数寄屋建築の秀作を残した
   また著作にも力を注ぎ建築以外にも影響を与えた  明治10年東京生まれ 昭和17年没

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# by gkiyosumi | 2008-11-03 21:53

09 庭園南

        ◇自由広場
                自由広場は木立ちに囲まれた緑濃い空間である 南側に芭蕉句碑が置かれている

e0156629_21394895.jpge0156629_2251823.jpg                     

          寒緋桜
         自由広場中心には櫻が植え
         られている  西側には寒緋櫻
         があり  3月には濃い桃色の
         花が咲く東の染井吉野は寒緋
         桜に続き開花し長い間櫻が見
         られる

e0156629_11195710.jpg              
e0156629_230985.jpge0156629_0572163.jpg染井吉野



                      関山 

  花菖蒲
  仙台掘りからの取水口に沿って花
  菖蒲が植えられている本数は多く
  ないが多様な花菖蒲の花々が6月
  には見られる
e0156629_22521270.jpge0156629_235517.jpge0156629_23552687.jpg    曼珠沙華





   石蕗





 
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 ◇芭蕉句碑

   天和3年(1681)から元禄2年(1689)迄芭蕉は杉山
   杉風の別所に住んだ この場所は芭蕉庵として保存さ
   れている現在の芭蕉庵は20平方米と狭いため「古池
   や」の句碑がこの自由広場に移されている 清澄庭園
   の南側の仙台掘の近くに杉風の採茶庵があり元禄2年
   (1689)3月27日 芭蕉はこの採茶庵を早朝出て千住
   にいたり 「奥の細道」の旅出となった
                                    
e0156629_232186.jpg◇瀧 石
  涼亭建築以前はこの瀧石が庭園全体の真正面に見え 庭園
  の中心だった 約3メートルの紀州青石を鏡石として立て
  その前後左右に同じ青石を据えて瀧組みとし 手前に伊予
  青石を転がして水受石としている瀧石を巡るように五郎太
  石を敷き詰め富士川の景色を表している


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       ◇富士山

震災以前は富士山の頂上近くには樹木を植えず芝山のでこぼこをそのまま見せて富士山を表していた皐・躑躅だけの灌木群を配しどこからも見え景色の焦点となっていた 
現在頂上付近に実生の榎などが成長し当初の意図するものと異なってしまっている 頂上にある黒い石はは富士の溶岩である


  
      

                 







            ◇野佛 富士山の裏側に粗末な龕があり そこに4体の石仏が納められていいる
                      岩崎造園当時の田舎家周辺で発見されたものを集めたと言われている
                      田舎家はこれをを中心には庭園の東南に 田園の環境を造ったが大正年間
                      に腐朽撤去された

e0156629_1840588.jpg       右の写真は1778年製 馬頭観音供養塔 下の写真で中央の佛は300年前の
       石仏である  江東深川で野佛の出土は珍らしい
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e0156629_12331350.jpg                      ◇ 清澄の石

               清澄の石は 変成岩の青石 火山岩の
               御影石 生駒石 小松石 変成岩の赤石
               仙台石が代表的な庭石である
                                         佐渡赤石

 
e0156629_19163084.jpge0156629_0591342.jpg
















伊予・紀州青石
 青石は緑色片岩で 緑色の原因は有色鉱物である

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          仙台石




保津川水掘れ石 
  保津川で天然に削工された手水鉢




                生駒石は角閃石はんれい岩で白色鉱物 有色鉱物が 層状に凝集した
                ものである
                小松石は班晶に乏しいデイサイト 赤石は高圧で生成されたチャート
                仙台石は三畳紀石灰質スレートである
                御影石は花崗岩で清澄のものは白い均質な優白質である

                  




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# by gkiyosumi | 2008-11-03 21:52

10 中之島

       ◇中之島

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                 赤松  中の島 旧一番の木赤松 大島桜 櫨の木に一番の座を奪われてしまった


e0156629_1414187.jpg 諫鼓鶏石塔基礎

  中国の伝説上の聖天子堯、舜、禹が、その施政について諌言
  しようとする人民に打ち鳴らさせるために 朝廷の門外に太鼓
  を設けた これを諌鼓と呼ぶ しかし 善政を行ったので太鼓
  は鳴ることもなく永年の間に苔むし鶏の格好の遊び場となった
  という この諫鼓鶏石塔が此処にあったが昭和20年東京大空襲
  で崩壊基礎だけが残った





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昭和3年の中ノ島橋と
左端が諫鼓鶏石塔

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                 現在の中之島橋-師走











  ◇櫨の木 ハゼノキ

    終戦後 鳥が運んだ種から生じた 実生の樹 格式ある庭園から見れば異例であるが
    秋には華やかな紅葉が見られる 櫨の木の奥には大島桜がある この大島桜も実生
    で 庭園主木には異例の闊葉樹である
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     中之島ライトアップ
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                                            撮影 清澄庭園管理所

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# by gkiyosumi | 2008-11-03 21:51

11 庭園東

e0156629_15365691.jpg               


 
◇椋の木 ムクノキ

関東以西の山地に自生する落葉高木 樹皮は灰褐色 縦に浅い筋がついている 葉は互生し卵形で縁に鋭い鋸歯がある 葉の表面はざらざらしていて 工芸品の磨きなどに使われた 春 葉が開く頃に淡緑色の花が咲き果実は熟すと黒くなって甘い

e0156629_18325289.jpg                                                 
e0156629_1551384.jpg                   紅葉 


                     
  多層塔
奈良御影の11重で丈9尺 初重軸部に四方佛が刻まれ江戸期以前と推定される 出来も素晴らしい 元々は13重であるが関東大震災で転倒し3番4番が失われたと言われている 庭園中屈指の名品

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               ◇ 茶庭

     大正記念館東側に 保津川石の見事な水掘れ石があり
     左に組井筒とその間に飛び 石が連なっている 旧和館
     の茶庭庭先にあたる 背景に生駒石などを配置し
     京都を演出している
  


 

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# by gkiyosumi | 2008-11-03 21:49

年 表

   清澄庭園年表

        1636 寛永13  久世広之 大和守叙任 関宿城主
        1694 元禄 7  松尾芭蕉没
        1734 享保19  紀伊国屋文左衛門 深川に没す -異説多し
        1828 文政11  分間 江戸大絵図にこの地 久世長門守下屋敷
        1871 明治 4  本地所 徳川新三位中将所有 後四条家へ
        1878 明治11  岩崎彌太郎 付近一帯を購入 庭園起工
        1880   13  庭園慨成 「深川親睦園」 と命名
        1885   18  彌太郎没 岩崎彌之助 庭園修築続行

e0156629_0481925.jpg1889 明治22 ジョサイア・コンドル 岩崎深川別邸/西洋館



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                               1889 明治22 柏木貨一郎 岩崎深川別邸/日本館
        1891   24  「清澄庭園」 完成
        1909   42  岩崎久彌 「キッチナー記念涼亭」竣工
        1923 大正12  関東大震災により大損壊
        1924   13  岩崎久彌 清澄庭園東半分を東京市に寄贈
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        1928 昭和 3  大正記念館竣工
        1932    7  東京市 「清澄庭園」 開園
        1945    20  東京大空襲 により再び庭園 大正記念館焼失
        1953    28  大正記念館再建
        1963    54  東京都名勝に指定





e0156629_1154525.jpg                              岩崎家の家紋"重ね三階菱"  

    岩崎 彌太郎  天保5年 - 明治18年


e0156629_0344194.jpg1835 年1月9日 (天保5/12.11) 出生
           土佐国安芸郡井ノ口村
           父彌次郎/地下浪人-母美和/長男
1854 安02 19   江戸、安積良斎 見山塾入門
1858 安05 23   土佐藩吉田東洋門下に入る
1859 安06 24   藩職に就き長崎派遣
1862 文02 27   結婚-高芝喜勢
彌太郎と妻喜勢/明治維新前

1865 慶元 30   長男久彌誕生
1867 慶03 32   坂本龍馬と交請 龍馬長崎発 " 船中八策 " 
1869 M02 34   開成館大阪勤務、高知藩権少参事     
1870 M03 35   九十九商会開設→三川商会
1873 M06 38   三菱商会と改称
1874 M07 39   東京南茅場町に本拠を移転
                      1875 M08 40   三菱汽船会社 上海定期航路開設
                      1877 M10 42   西南戦役軍事輸送受命
                      1878 M11 43   本清澄庭園 土地購入
                         M13     三菱「深川親睦園」開設

                      1879 M12 44   東京海上保険設立を援助
                      1880 M13 45   三菱為替店開設
                      1881 M14 46   高島炭坑買収,明治生命設立
                      1883 M16 48   共同運輸開業、三菱と競合
                      1884 M17 49   工部省長崎造船所を借用
                      1885 M18 50   2月7日茅町本邸/逝去-胃癌






                                  岩﨑 彌之助  嘉永4年 - 明治41年

e0156629_1352422.jpg        1851 嘉04  0   2月8日(嘉永4/1.8) 出生 /土佐国安芸郡井ノ口村
                      父彌次郎/母美和/次男 兄は岩崎 彌太郎
        1867 慶03 16   致道館入学
        1872 M05 21   米国ニューヨーク留学に出発
        1873 M06 22   父彌次郎没 留学から帰国
        1874 M07 23   東京に移る、後藤象二郎長女/早苗と結婚
        1877 M10 26   西南戦役軍事輸送受命 長崎にて指揮をとる
        1879 M12 28   長男小彌太誕生
        1885 M18 34   彌太郎没 二代目社長に就任
        1886 M19 35   三菱社と改称
        1889 M22 38   筑豊の炭坑経営に乗り出す

e0156629_11355293.jpg                                       
                                                            大名物"付藻茄子” 
        1891 M24 40   小岩井農場開設
        1891 M24 40   「清澄庭園」 岩崎深川別邸 完成
        1893 M26 42   三菱合資会社設立 社長は彌太郎長男久彌 監務就任
        1894 M27 43   三菱一号館竣工 合資会社本社を同所に移す
        1896 M29 45   男爵 日本銀行総裁に就任
        1902 M35 51   欧米を旅行
        1908 M41 57   3月25日 高輪邸にて逝去-上顎癌
        1909 M42  -    岩崎久彌により 「涼亭」 竣工
                    墓は世田谷区岡本 静嘉堂文庫 岩崎玉川廟
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                        岩崎彌之助廟/j.コンドル/世田谷 静嘉堂文庫


e0156629_1792454.jpg          彌之助の死
            しかし、このころから彌之助は体調を崩し大磯や箱根の別邸に静養す
            ることが多くなったやがて東大病院に入院する上顎骨癌腫と診断され
   
            秋口にはX線で癌腫を焼き切る治療を受けた食事もとれず口も利
            けないつらい闘病生活になったが彌之助はすべてを医者にゆだね弱音
            を吐くことは決してなかった だが懸命の治療の甲斐もなく
            
            明治41年/1908年 3月25日彌之助が完成を待ち侘びた完成間近の
                 高輪本邸/現開東閣で遂に帰らぬ人となった医師の問に筆談
                 で答えた 「何もいふ事ナシ」 が絶筆になった 享年57歳




                                       出典;「岩崎彌太郎小伝」三菱資料館 2001
                                                     「岩崎彌之助小伝」三菱資料館 2002






 ◇ 参考文献

        岩崎久彌傳   岩崎久彌傳編集委員会  昭和三十六年十二月二日
       
        ジョサイア・コンドル 「鹿鳴館の建築家 ジョサイア・コンドル展」 図録(増補改訂版)
                                       2009年12月25日 発行







        

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# by gkiyosumi | 2008-11-03 21:30